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ポルトガルの首都リスボンで200年前に生まれた大衆音楽ファドを日本とリスボンで活動するファディスタMACHAKO(浅井雅子)が楽しく紹介します。浅井雅子のウェブサイトはこちら。http://www.machakocanta.com/


by MACHAKO

「こういう風に歌うべき。」ではない。「そういうふうにしか歌えない」ものがその人のファド。

ポルトガル語を習い始めて1年半がたちました。

いまだに過去形あたりでうろうろしております。

それでもなんとか日常会話に困らないところまで到達しそうではあります。

ポルトガル語を習っていると
ファドを聴くときに耳がいろいろな音をキャッチします。

そこには
日本人には出せない音が存在し、
勉強したら言えますし、
発音できても

その音を何十年と聞いて、
普通に会話にだし、そのものを見て
育った方々には

環境と厚みが一瞬にしてかなわないものを感じます。

国籍や血が違うんで、当たり前と言えば当たり前です。

そのあたりのことを悩んでいる方々は多くいます。

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勉強をすればするほど

似せようとしてしまいます。

見本にすることはとっても大事なことだと思いますし、
研究も大事です。

でも
似せようと同じようにやろうという意識が強いほど、
その人の色合いが歌から消えてしまうように思います・・・・・

これは
ポルトガル語から逃げているのではなく

歌というものに対し「一体何を大事に考えていくべきか」の問題だと思います。

私は、日本人ではちあきなおみさんのファドは大好きです。
声も好きだし、動画も好きです。
歌詞への理解度も素晴らしいものを感じます。
表情も好きです。顔と表情のバランスが自然です。

そのすべてが

「一体になっているもの」が好きだし、
その次も
「その一体感」を

キモチよく味わいたいと思うのです。

歌っている時に
自由を感じられないような歌
楽しそうではない歌。

は疲れます。

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目的は「ファドを聴きに行く」ということでも

「得るものは違うこと」があると思います。

「何か、ライブにいったら、気分がすっきりした~~~~」とお客さんに思っていただくことは
演者にとっては命です。

一番大事なことは
演者の関係性でもあります。

それは、「仲がいい」だけではなく。
「演奏が上手い」ことでもなく

「本当にお客様にとって楽しんでもらえるものを提供する」気持ちの一体感です。。。。

そういう熱は伝わるものです。

リスボンのファドレストランでもそうです。

日々、ギタリストがちょっと変わっていくお店などでは
顕著です。

すぐにお客さんに伝わるので、空間の空気が変わることがあるんです。

「そういうふうにしかできない」のがその人のファドだと私は感じます。

レニータジェンティルは、

ああいう風にしか歌えません。

彼女のすべてをさらけ出す。

そう

その勇気を常に頭のてっぺんから足の先まで持ち続け

ぎりぎりのところで己をコントロールし、

あの熱を発していると感じます。

余裕というものは、あとから感じられるので十分なステージ。


お客さんは
いいものを見たいと思っていると思いますが、

実は

凄いものを感じ取りたいのだとわかる瞬間。

そういうふうにしか歌えないという開放的な空気。


すっきりファドを聴ける最高の環境はそれです。





by machafado | 2014-06-27 00:23